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京都地方裁判所 昭和59年(ワ)854号 判決 1985年10月30日

原告

水無瀬たづ子

ほか四名

被告

田中勝二

ほか一名

主文

一  被告田中勝二は、原告水無瀬たづ子に対し金六九万円、同松村芳子、同水無瀬勝彦及び同水無瀬千鶴に対し各金一二万円、並びに原告水無瀬たづ子の内金六〇万円、同松村芳子、同水無瀬勝彦及び同水無瀬千鶴の各内金一〇万円に対しいずれも昭和五七年一二月二八日から、右原告らのその余の各内金に対しいずれも同五九年五月一二日から、それぞれ完済まで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告水無瀬たづ子、同松村芳子、同水無瀬勝彦及び同水無瀬千鶴のその余の各請求並びに原告水無瀬勝の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その八を原告水無瀬たづ子、同松村芳子、同水無瀬勝彦及び同水無瀬千鶴の連帯負担とし、その余の一ずつを原告水無瀬勝と被告田中勝二の各負担もする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告田中勝二(以下「被告田中」という。)は、原告水無瀬たづ子(以下「原告たづ子」と略称し、他の原告も同様に略称する。)に対し金八八〇万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴に対し各金二二〇万円並びに原告たづ子の内金八〇〇万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴の各内金二〇〇万円に対し、いずれも昭和五七年一二月二八日から、右原告らのその余の各金員に対しては本件訴状送達の日の翌日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告京都府共済農業協同組合連合会(以下「被告共済連」という。)は原告勝に対し金九二万八八六一円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの各請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

A  原告たづ子ら関係(別件原告勝を除く。以下同じ)

1 被告田中は、昭和五五年一〇月二日午後二時五五分頃、普通貨物自動車を運転して京都府中郡大宮町字河辺三五三四番地先の道路を進行中、別件原告勝(以下原告勝という)運転の第二種原動機付自転車に衝突した(以下本件交通事故という)。このため原告勝は、左急性硬膜下血腫、脳挫傷及び頭蓋骨骨折等の傷害を受け、同五六年一二月二八日両下肢及び左上肢各廃用、進行性健忘記銘力障害、時間的空間的見当識障害を主症状とするコルサコフ症候群、その他の高度の痴呆状態を残したまま症状固定との診断を受け、今日に至つている。

2 そして、原告たづ子は同勝の妻であり、同芳子は長女、同勝彦は長男及び同千鶴は次女であるところ、原告勝の右受傷によりいずれも生命を害された場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けた。

3 本件事故は、左右見通しのきかない同幅員の道路交差点での事故であり、この様な場所を通過する際、被告田中としては徐行又は一時停止して左右に通ずる道路からの車両の有無を確認して衝突事故を防止しなければならないのに、これを怠り漫然時速五〇キロメートル以上の速度で進行した過失により生じたものであるから、同被告には民法七〇九条の損害賠償責任がある。

4 そこで、原告たづ子らの損害は、次のとおりである。

(一) 慰藉料

原告勝の前記負傷により被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては、妻である原告たづ子については八〇〇万円、子である同芳子、同勝彦及び同千鶴についてはそれぞれ二〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用

原告たづ子らは本訴の提起追行を弁護士に委任しているところ、本件事故と相当因果関係のある費用は、原告たづ子につき八〇万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴につき各二〇万円である。

5 よつて、被告田中に対し、原告たづ子は八八〇万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴は各二二〇万円、並びに原告たづ子の内金八〇〇万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴の各内金二〇〇万円に対しいずれも履行期到来後の昭和五七年一二月二八日から、右原告らのその余の各金員に対しては本件訴状送達の日の翌日から、それぞれ完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

B  原告勝関係

1 原告勝は、昭和五一年一一月二四日、大宮町農業協同組合(以下「大宮町農協」という。)から金員を借り受けることとして同農協との間で、左記のとおりの金銭消費貸借契約(以下「本件金銭貸借」という。)を締結した。

(一) 金額 七〇〇万円

(二) 利息 年利一〇・五パーセント(但し、昭和五三年四月以降年利九パーセント)

(三) 共済期 昭和五二年一月一五日以降同七一年三月一五日まで毎月一五日に六万九八八六円宛分割弁済

2 右契約に際し、原告勝と大宮町農協は、本件金銭貸借に基づく原告勝の大宮町農協に対する債務につき、大宮町農協が所定の方法により原告勝を被共済者とし、大宮町農協を共済契約者並びに共済金受取人とする団体信用生命共済契約を締結し、同共済契約に定める共済事故が発生し、大宮町農協が共済金を受領したときは、受領金相当額の原告勝の大宮町農協に対する割賦償還債務が消滅する旨のとりきめがなされた。

3 そこで大宮町農協は、原告勝との前記約定に基づき、昭和五一年中に被告共済連との間で大要左記内容の団体信用生命共済契約(以下「本件共済契約」という。)を締結した。

(一) 被共済者 原告勝

(二) 共済契約者 大宮町農協

(三) 共済金受取人 右同

(四) 共済期間 昭和五一年一二月頃以降同七一年三月頃まで

(五) 共済金支払事由 被共済者が傷害により中枢神経系又は精神に著しい障害を残し、終身常に介護を要するとか、両下肢の用を全く永久に失うなどの高度障害状態になつたとき

(六) 共済金額 共済事故発生時の原告勝の大宮町農協に対する本件金銭貸借に基づく割賦償還債務残額

4 本件共済契約の被共済者である原告勝は、昭和五五年一〇月二日交通事故により傷害を受け、その後治療を継続したが、同五六年一二月二八日高度障害状態のまま症状固定との診断がなされたものであり、前記事故当日高度障害状態となつたものである。

5 そこで被告共済連は、昭和五七年一月頃、本件共済契約に基づくものとして大宮町農協に対し、原告勝の症状固定日たる同五六年一二月二八日現在の同原告の割賦償還債務残額と同額の共済金を支払つた。

6 しかし、被告共済連としては大宮町農協に対し、右事故当日である昭和五五年一〇月二日現在の原告勝の割賦償還債務残額と同額の共済金を支払うべきであつた。その根拠は、次のとおりである。

(一) 生命共済契約の性質

(1) 本件共済契約の約款には、同契約の趣旨として、「団体信用生命共済は、共済契約者に対し賦払債務を負つている被共済者が、償還期間の中途で死亡し、又は所定の後遺障害の状態となつたときに、その債務額と同額の共済金を共済契約者に支払うことによつて債権の保全を確実にし、あわせて賦払債務償還中の被共済者の家計の安定を図ることを目的とした団体共済です。」との記載があり、これによると生命共済契約は債権回収確保のためのほか、債務者である被共済者の賦払債務償還中の生計の安定を図ることをも目的としたものであることが明らかである。

(2) 生命共済契約の共済金額、共済期間は賦払債務の残債務額未返済の期間と同一と定められており(約款六条、七条)、賦払債務の返済から離れた独立の目的を有していない。

(3) 生命共済契約の共済契約者である農協は、本件のようにローンに付随して締結される生命共済契約によつて、ローン債権とは別にそれによつて利益を得ることを目的としていない。

(4) 共済掛金の支払いは共済契約者である農協がなすことになつてはいるが、賦払債務の利息を定めた際、右掛金が加算して定められており、実質的には賦払債務者が負担している。

(5) ローン締結の際、賦払債務者である被共済者は、農協が共済契約者となつて生命共済契約を締結することに同意するとの念書を農協に差入れる形で生命共済契約締結についての約束をしているが、ローン債務の利息を定めるについては右(4)記載のとおり、共済掛金が考慮されており、これを含んだ利率でローン契約がなされている以上、農協は生命共済契約締結を賦払債務者に対しても約しているものである。

(6) 右(1)ないし(5)によると、生命共済契約は賦払債務者の利益のためにも締結されているものと考えられ、生命共済契約において共済金が支払われるべき場合には、共済契約者はこれを受領しないで賦払債務者に返済を求めることができない。つまり、共済金が支払われるべき場合には、賦払債務者は債務を支払うべき必要がないものと解すべきである(同旨の判例大阪高裁昭和五九年四月一八日判決―判例タイムズ五三〇号一六一頁)。

(二) 共済事由について

(1) 生命共済約款一七条では共済金の支払につき、『1(イ)共済期間内に被共済者が被共済団体へ加入した日又は共済契約の復活の日以後に生じた疾病又は障害により、別表に該当する後遺障害(以下「第一級後遺障害」という)の状態になつたこと(カツコ内省略)、2前項により会が支払う共済金の額は、被共済者が死亡し、又は第一級後遺障害の状態になつた場合におけるその被共済者の共済金額に相当する額とします。』と定め、又、右に関連した別表には、「8両下肢の用を全廃したもの、9精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの、10神経系統の機能に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」等の後遺障害事由があげられており、更に適用上の注意事項として、「1後遺障害の状態とは、傷害又は疾病が治癒した後に残存する精神的又は身体的なき損状態であつて、将来回復見込みのないものをいいます。ただし、傷害または疾病が治癒する前であつても、その障害の状態が表中の状態に該当し、将来回復見込みのないものについては、後遺障害の状態とみなす場合があります。2前項但書の場合には、表中の第9号、第10号、第11号中、終身労務に服することができないもの」とあるのは「終身常時介護を要するもの」と読みかえるものとします。」との記載がある。

(2) そこで、これを本件に即して考察すると、本件交通事故は、昭和五五年一〇月二日発生し、原告勝は左急性硬膜下血腫、脳挫傷、右脳内出血、左大腿骨転子貫通骨折等の傷害を受け、昏睡状態で生命に対し非常に重篤な状態であつた。もつとも減圧開頭術により原告の意識障害は半昏睡期を経てほぼ清明となつたが、以後左前頭葉障害による精神症状が強く残り、右半身麻痺、左下肢障害が強く残つた状態のまま回復することなく、症状が固定した同五六年一二月二八日当時は言語機能障害として単語のいえる程度の失語症、言語構音障害、精神神経等障害として、全面介護で就労能力が全くなく、両下肢及び左上肢廃用との診断がなされるに至つたものである。かくして原告勝は、受傷日(事故日)以後常時介護を必要とする状態が続き、終生これが必要であり、当然に就労もできない状態である。ただ精神、神経系統あるいは両下肢、左上肢の機能は受傷の時と比べ、右症状固定時の方が多少改善されているけれども、第一級後遺障害の状態であることに変りはない。約款の中にも後遺障害の状態の認定については、治癒(症状固定日と考えられる)にこだわらないことも適用上の注意事項として記載されており、生命共済契約の趣旨が債務者の生計の安定を図ることを目的としていることからしても、原告勝のように治療が長期に亘り続けられ、その間悪化傾向はなく、一定の治療効果があつたにも拘らず結局、さきに引用した別表に定める事由に該当する後遺障害の状態となつた時とは、右受傷日と考えるのが相当である。

7 従つて、被告共済連は大宮町農協に対し、原告勝の受傷日である昭和五五年一〇月二日現在の割賦償還債務残額と同額の共済金を支払うべき義務があり、一方、原告勝は大宮町農協に対し右同日以降割賦償還債務の支払義務はなかつたものである。

(一) しかしながら、原告勝は大宮町農協の請求により、受傷日である昭和五五年一〇月二日以降症状固定日である同五六年一二月二八日まで、(別紙)支払明細のとおり合計九二万八八六一円を弁済し、同額の損害を被つた。

(二) 他方、被告共済連は、前記のとおり受傷日現在の原告勝の大宮町農協に対する割賦償還債務残額と同額の共済金を支払うべきであるのに、右症状固定日現在の同残額と同額の共済金を支払つた。これにより被告共済連は、大宮町農協に対する共済金債務を免れたというべきであるから、原告勝の損害により同額の利得を得たものである。

8 仮に被告共済連が大宮町農協に対し、前記受傷日現在の共済金から症状固定日現在で実際に支払つた共済金を控除した残額の共済金支払債務を負担しており、利得がないとするなら、原告勝は、次の理由により大宮町農協に代位して被告共済連に対し、右残額の共済金の請求をする(なお、本件では被保全債権と代位行為の目的たる債権が密接な関連を有するので、債務者の無資力は要件とならないと解すべきである。)。

(一) 原告勝は、受傷の日以降症状固定日までに支払つた賦払償還金合計金九二八、八六一円は大宮町農協に対する債務なきに拘らず、これを知らずに支払つたものであり、原告は同農協に対し、不当利得の返還請求権を有する。

(二) 他方、大宮町農協は被告共済連に対し、本件共済契約に基づき、同額の共済金支払請求権を有している。

9 よつて、原告勝はいずれにしても被告共済連に対し、金九二万八八六一円及びこれに対する履行期到来後である本件訴状送達の日の翌日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  答弁

A  被告田中

1 請求原因A1のうち、高度の痴呆状態との点を除き認める。

原告勝の症状は、今後部分的改善の可能性を残している。

2 同2の身分関係は認める。

もつとも、本件交通事故当時、原告勝と同たづ子とは離婚寸前の状態にあつた。同事故がなければ、おそらく離婚していたと聞いている。

3 同3の事実は認める。

しかし、事故現場の交差点は見通しが悪いうえ、被告田中の進行道路の方が交通量も多い状況であつたから、原告勝としても同交差点に進入する際、一時停止または徐行すべき義務があつたのに、これを怠つた。

4 同4の損害額は争う。

B  被告共済連

1 請求原因B1のうち、弁済期の終期を除き認める。

同終期は昭和七一年一二月であつた。

2 同2の事実は認める。

3 同3のうち、(四)の共済期間の終期及び(六)の共済金額を除き認める。

共済期間の終期は昭和七一年一二月であり、共済金額は「被共済者が死亡し、または後遺障害の状態になつた時におけるその被共済者の共済金額に相当する額」である。

4 同4の事実は認めるが、事故当日に共済事由が発生したとの主張は争う。

5 同5の事実は認める。

6 同6の主張は争う。

殊に、団体信用生命共済契約は、農協のローン債務者に対する債権保全を目的とするもので、同債務者が債務を免れるのは反射的利益に過ぎない。そして、原告勝の受傷のような場合には、将来回復の見込みがない状態に達した時に、共済事由が確定するのであり、受傷日にそれが確定を求めることは不可能を強いるもので妥当でない。

7 同7の(一)の事実は不知であり、(二)の被告共済連の支払関係は認めるが、その余の事実を否認し、主張を争う。

仮に共済事由の発生時期を原告主張のとおり原告勝の受傷日とするなら、被告共済連は大宮町農協に対して共済金の支払義務を負つているのであるから、同被告が利得したことにならない。

8 同8の代位権行使につき、債務者無資力の要件が必要であるところ、その要件を具備していない。

三  被告田中の抗弁

1  本件交通事故に基づく損害賠償は、被告田中との関係で原告たづ子ら固有の慰藉料を含めて、以下のとおり示談解決ずみである。

(一) 原告らは、被告田中との本件交通事故につき示談交渉などの一切を本訴原告ら代理人に委任した。そして、原告ら代理人は、被告田中の代理人である被告共済連所属の職員上木信弘や岡本敬と示談交渉をした。その際、原告ら代理人は(別紙)損害明細のとおり家族の慰藉料を含めて請求した。

(二) その後の両者の交渉の過程でも原告ら代理人は、一貫して家族の慰藉料を含めて請求しており、被告田中の代理人に右を除く旨の通知がされたことはない。

(三) 被告田中の代理人としても、家族分を含めて慰藉料を査定して原告ら代理人に回答し、結局のところ昭和五八年一二月九日原告ら代理人との間で、本件交通事故に関する近親者の慰藉料を含む一切の損害賠償として既払金三一五五万八八八四円(内訳・治療費五〇八万二二一一円、装具費一九万八六〇〇円、内払金六二七万八〇七三円、自賠責保険後遺症給付二〇〇〇万円)のほかに三〇〇〇万円を支払うとの約定により示談が成立したのである。

(四) しかも、示談で成立した後遺障害の慰藉料額は、原告勝とその近親者分を含めたものとして妥当な額である。

即ち、本件交通事故に基づく損害額の被告田中側の査定は、慰藉料分一一〇〇万円を含めて約二八六〇万円であつたところ、これに慰藉料分として約一四〇万円を上乗せし、示談が成立した金額は三〇〇〇万円であつた。従つて、慰藉料分は約一二四〇万円であつたから、当時の相場に照らしても、近親者分を含めたものとして妥当な算定がなされている。

以上の次第であるから、原告たづ子らの請求は理由がない。

2  仮に、被告田中が原告たづ子らに近親者慰藉料を支払わなければならないとしても、本件事故の発生につき原告勝に五割の過失があつたから、斟酌されるべきである。

四  抗弁の認否

1  抗弁1につき、本件交通事故につき被告田中との示談交渉の当初、原告たづ子ら固有の慰藉料をも請求したが、被告田中側において示談では原告たづ子ら固有の慰藉料は全く認める余地がないと言明したので、以後これを除いたのであり、被告田中主張の示談は同被告と原告勝との間に成立したにすぎない。

なお、示談交渉の過程で被告田中側が慰藉料分一一〇〇万円を含む二八六〇万円を呈示し、後に一四〇万円を上乗せしたことは認めるが、右上乗せ分が慰藉料加算との説明はなかつた。それに呈示された慰藉料一一〇〇万円は原告勝本人分だけとしても、余りにも低額であるから、これに近親者分が含まれているといわれれば、到底納得できる額ではなかつた。

2  同2につき、原告勝の過失を否認する。

被告田中側としても、当初原告勝の過失は、せいぜい一、二割程度と認めていた。

第三証拠

証拠関係は、書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一原告たづ子らの請求

一  被告田中が昭和五五年一〇月二日午後二時五五分頃、普通貨物自動車を運転して京都府中郡大宮町字河辺三五三四番地先の道路を進行中、原告勝運転の第二種原動機付自転車に衝突したこと、このため原告勝が左急性硬膜下血腫、脳挫傷及び頭蓋骨骨折等の傷害を受け、同五六年一二月二八日両下肢及び左上肢各廃用、逆行性健忘記銘力障害、時間的空間的見当識障害を主症状とするコルサコフ症候群を残したまま症状固定したとの診断を受け、今日に至つていること、以上の事実は当事者間に争がなく、成立に争のない甲第七、第八号証、同第一〇号証によると、原告勝(昭和八年二月生)は、前記頭部外傷後遺症としての慢性器質性精神障害のため、総合的判断能力が著しく障害され、且つその基礎的病像の改善は期待し難く、身体障害者一種一級と認定されたこと、かくて原告勝は、昭和五七年四月八日京都家庭裁判所峯山支部において、心神喪失の常況にあるものとして禁治産宣告を受けたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二  次に、原告勝と原告たづ子らの身分関係が原告たづ子ら主張のとおりであることは当事者間に争がない。もつとも、前掲甲第八号証、成立に争のない甲第一一号証の一四に、原告水無瀬たづ子本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)並びに弁論の全趣旨によると、原告たづ子は、昭和五五年二月一八日以後、原告勝方を出て別居・自活し、離婚する積りであつたが、本件事故の発生により復帰し、原告勝に付添つてその世話をして来たこと、そして、原告勝は症状固定後、一時自宅療養により原告たづ子の介護を受けていたものの、その介護が原告たづ子一人の手に負えないということで、滋賀県下にある無償の身体障害者福祉施設に収容されていること、以上の事実を認めることができ、この認定に反する原告水無瀬たづ子本人の供述部分は措信するに足らず、他に右認定に反する証拠はない。

三  成立に争のない甲第一一号証の一〇、一六及び二一によると、事故現場は、ほぼ南北に通ずる幅員約六・二メートルの町道千丈敷第三号線と、ほぼ東西に通ずる幅員約五・四メートルの町道スゴ通学線とが交差する十字路であつて、交通整理が行われていないこと、被告田中は前記貨物自動車を運転して第三号線を時速約三〇ないし四〇キロメートルで北進し、同交差点の手前約一二メートルに差しかかつた際、同交差点の手前約七・七メートルの通学線上を西進している原告勝運転の前記原付自転車を認めて直ちに急制動の措置をとつたが及ばず、自車前部を右原付自転車の左側前部に衝突させたこと、なお、原告勝が制動措置をとつた形跡がないこと、以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、被告田中は、進路前方の車両の状況を十分に把握して事故の発生を未然に防止するため、同交差点手前で徐行すべき注意義務があつたのにこれを怠り、本件交通事故を惹起したというべきであるから、民法七〇九条の規定に基づき不法行為責任を負うべきであり、原告勝の受傷の状況に鑑みると、原告たづ子らが被つた精神的苦痛は、原告勝の死亡の場合に比して著しく劣らない程度というべきであるから、同被告は同法七一〇条の規定に基づき、右各精神的苦痛を慰藉すべき責任があるというべきである。

しかるところ、被告田中は、原告たづ子ら固有の慰藉料を含めて原告勝と示談解決したと主張する。この主張は、二、三の異なる理解が可能であるが、同被告の趣旨とするところは、実質的に原告たづ子らの慰藉料分を加算して原告勝と示談したことにより、原告たづ子らの精神的苦痛も慰藉されたというにあると解するのが相当である。

いうまでもなく被害者本人の精神的苦痛と近親者のそれにつき、各別に慰藉料請求権を容認する趣旨は、立場の相違により斟酌事由を異にするなどの個別性に求めるべきであろう。しかし、近親者の精神的苦痛が本人のそれに由来することも事実であり、それだけに本人の精神的苦痛に対する慰藉が、近親者の精神的苦痛の慰藉に大なり小なり寄与することも否定し難いところというべきであり、殊に被告田中主張の如き場合には特段の事由がない限り、近親者の精神的苦痛も慰藉されると解するのが相当である。そこで、この見地に立脚して検討する。

原告勝と被告田中との間に、本件交通事故につき示談が成立したことは、同被告と原告たづ子らとの間で争がなく、成立に争がない甲第一号証によると、同示談は、昭和五八年一二月九日付書面により同被告と原告勝代理人弁護士下谷靖子との間で締結されたものであること、その内容の骨子は、被告田中が原告勝に対し、本件事故に関する一切の損害賠償として既払金のほかに三〇〇〇万円を支払つて解決するというものであることが認められ、この認定に反する証拠はなく、成立に争のない甲第五号証、同乙第二号証、同第六号証、証人戸倉晴美の証言により真正に成立したと認める甲第四号証、証人岡本敬の証言により真正に成立したと認める乙第一号証に、証人岡本敬、同戸倉晴美、同上木信弘の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告田中は、大宮町農協との間に自動車共済契約を締結していたのであり、本件交通事故はその共済期間中に発生した。そこで、大宮町農協の上部組織である別件被告共済連の職員上木信弘及び岡本敬が、被告田中の授権により代理人として示談交渉に当つた。他方、原告勝側は、戸倉弁護士が依頼を受けて代理人となり、後に下谷弁護士も依頼を受けて代理人として加わり、交渉を進めた。

2  両者の代理人は、さきに説示した昭和五六年一二月二八日原告勝の症状が固定し、同五七年四月八日同原告に対し禁治産宣告がなされたのを機に、本格的な交渉に入つた。当初、原告側の代理人は、書面により種遺症慰藉料分として原告勝一五〇〇万円、妻五〇〇万円、子一五〇万円と明記して請求した。ところで、自動車共済については、最上部組織である全国共済農業協同組合連合会が損害査定要領を定めているところ、その昭和五四年四月一日実施分の後遺障害に対する慰謝(藉)料については、障害等級第一級の基準額が七〇〇万円とされており、ただし一家の支柱については八〇〇万円とすること、(注)として後遺障害を被つた被害者の近親者に対する慰藉料は、基準額の中に包含されているものとみなすとされているため、被告田中の代理人は、基本的には右の損害査定要領に準拠した解決しかできないものの、原告勝が大宮町農協の組合員であつたことから、可能な限りの配慮をすることにして前記連合会の査定を経たうえ、近親者分を含めて後遺障害慰藉料を一一〇〇万円に増額し、原告勝の過失を四割として、既払額を除き他の損害を合算して二八六〇万五二八五円が支払額であるとし、三〇〇〇万円までの譲歩の含みをもたせた提案をした。これに対して原告勝の代理人らは、右の提案では近親者の慰藉料分は認められていないと理解し、且つ相手方代理人らにおいて示談では近親者の慰藉料分を認めないとの考えを堅持しているとして、この点に触れることなく前叙のとおり三〇〇〇万円で示談・解決した。なお、被告田中の代理人は、三〇〇〇万円への上乗せ分約一四〇万円は、後遺障害慰藉料の増額分として処理していた。

以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

右認定事実によると、被告田中側で近親者である原告たづ子らの慰藉料分を含めて原告勝との示談をしたと考えていたにしても、原告勝の代理人らがこれを諒承していたとは認められない。それに、同示談で算定の基礎とされた後遺障害慰藉料を被告田中側でいうように一二四〇万円(厳密には上乗せ分一四〇万円が過失相殺の対象になつていないから正確ではない)と把握するとしても、本件交通事故当時のそれとしては決して多額とはいえない数値であり、この点は原告勝の過失を四割と抑えている点を考慮しても消長を及ぼす程のことではない。このようにみて来ると、いずれにしても被告田中の主張は採用するに足りず、右示談により近親者である原告たづ子らの精神的苦痛までが慰藉されたとは認め難いというべきである。

四  そこで、原告たづ子らに対する慰藉料額について検討する。

さきに認定した本件事故の態様によると、原告勝としても交通整理の行われていない交差点を通過する際には、車両の動向に注意しながら、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならないのに、衝突するまで制動措置すらとつた形跡がない点に鑑みると、同原告の過失を五割と認めるのが相当であること、まずまずの額により同原告と被告との間に示談が成立していること、その他さきに説示の諸事情を考慮すると、原告たづ子につき六〇万円、原告芳子、同勝彦及び同千鶴につき各一〇万円のそれぞれ慰藉料を認めるのが相当である。

五  そして、原告たづ子、同芳子、同勝彦及び同千鶴が、本訴の提起追行を弁護士に委任していることは明らかであるところ、本件事故と因果関係のある費用として、原告たづ子につき九万円、その余の右原告につき各二万円と認めるのが相当である。

六  すると、被告田中は、原告たづ子に対し六九万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴に対し各一二万円、並びに原告たづ子の内金六〇万円、同芳子、同勝彦及び同千鶴の各内金一〇万円に対しいずれも履行期到来後の昭和五七年一二月二八日から、右原告らのその余の各内金に対して本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五九年五月一二日から、それぞれ完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負担しているというべく、右原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却する。

第二原告勝の請求

一  請求原因1ないし5(その要旨・原告勝が大宮町農協から金員を借り受け、これに基づき同農協が同原告を被共済者とする本件共済契約を被告共済連と締結したところ、その共済期間中に共済事由が発生し、被告共済連が昭和五七年一月頃、右契約に基づき大宮町農協に対し、原告勝の症状固定日たる同五六年一二月二八日現在の同原告の割賦償還債務残額と同額の共済金を支払つた)の事実(但し、消費貸借の弁済期及び共済期間の各終期並びに共済金額の約定を除く)は、当事者間に争がなく、成立に争のない乙第三号証によると、本件共済契約の共済金額の約定を本件に即していえば、被共済者が第一級後遺障害の状態になつた時におけるその被共済者の共済金額に相当する額であつた(約款一七条2項)ことが認められ、この認定に反する証拠はない。そうだとすれば、この点に関する原告勝の主張も、表現を異にするだけで、格別共済金額の約定の実質に相違はない。

二  ところで、原告勝は、本件にあつては交通事故による受傷の日が、右共済契約の共済事故発生の日であるから、同日付で算定された共済金が被告共済連から大宮町農協に支払われると共に、同原告の大宮町農協に対する割賦償還債務も同日付で消滅したと解すべきであるのに、被告共済連において原告勝の症状固定日を共済事故発生の日と解し、症状固定日付で算定した共済金を大宮町農協に支払つて差額に相当する九二万八八六一円を利得し、他方同原告は大宮町農協の請求により症状固定日までの割賦償還金を支払つて、右利得と同額の損害を被つたから、被告共済連に対し同額の不当利得返還請求権を取得したと主張する。

確かに、本件の場合、原告勝の受傷日をもつて共済事故発生の日と解する余地はある。そこで、それを一応前提にするとしても、原告勝はその主張のとおりなら大宮町農協に対し過払金の返還請求権を有するであろうし、原告共済連としても大宮町農協に対して差額の共済金支払債務を負担していることになるのであり、その余の点に言及するまでもなく原告勝が被告共済連に対し主張の不当利得返還請求権を取得すべき理由はない。

三  次に、原告勝は、大宮町農協に代位して被告共済連に対し、差額の共済金を請求するというのであるが、代位の要件である自己の債権保全の必要性について主張立証がなく、この点に関する原告勝の主張は独自の見解であつて採用できない。

四  以上の次第であるから、原告勝の請求は理由がないから、これを棄却する。

第三結論

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田眞)

(別紙) 支払明細

<省略>

(別紙) 損害明細

〔Ⅰ〕 積極損害

1 治療関係費

(1) 治療費

(2) 特別室使用料 保険より負担

(3) 器具、薬品代

(4) 症状固定後の治療費本人負担分 二〇、〇〇〇円

(明細はレシートによる)

2 付添看護費

(1) 入院付添費

一日 七〇〇〇(円)×五七三(日)=四、〇一一、〇〇〇円

るり園入所中は除く昭五七・一二・三一まで

(2) 将来の付添費

一日 七〇〇〇(円)×三六五(日)×一六・三七八九=四一、八四八、〇八九円

(四九歳より七五歳のホフマン)

3 雑費

(1) 請求時まで(昭五七・一二・三一まで)

一日 六〇〇(円)×八二一(日)=四九二、六〇〇円

(2) 将来

一日 一〇〇〇円×三六五×一六・三七八九=五、九七八、二九八円

4 交通費、通信費

(1) 交通費 二五七、七四五円

(2) 通信費 一一、八二〇円

5 謝礼

(1) 尾崎へ 四、〇〇〇円(現場救急者)

(2) 医師へ 二五、〇〇〇円

6 家屋改造費

(1) 旧家屋 一一二、八三〇円(身障者向に改造)

(2) 新家屋 (追つて提出)

7 物損

めがね 三六、〇〇〇円

8 禁治産宣告費用(鑑定料、弁護士料を含む。) 二〇〇、〇〇〇円

9 弁護士費用 三、〇〇〇、〇〇〇円

〔Ⅱ〕 消極損害

1 休業損害

(1) 症状固定まで

(一か月)三一一、〇〇〇×一五(月)=四、六六五、〇〇〇円

(2) 後遺症による逸失利益

(一か月)三三五、八八〇×一二×一三・一一六=五二、八六四、八二四円

〔Ⅲ〕 慰謝料

(1) 障害分 二、三〇〇、〇〇〇円

(2) 後遺症

(本人) 一五、〇〇〇、〇〇〇円

(近親者妻) 五、〇〇〇、〇〇〇円

(〃子) 一、五〇〇、〇〇〇円

(一人五〇万円宛)

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